テキスト

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あまちゃん2

「1日前までどんな気持ちで生活していたのかわからない。」いろんなレイヤーがある。地域も立場も性別も様々だ。それらの人たちが一様に眺めたキーワード。ドラマの表現を借りると「節電」「デモ」「風評被害」「就任」「解任」そして「絆」あの日以降それらはテーブルの上に並べられた。ある者はその一つを捕まえ声高に叫んだし、ある者はまるでにらめっこのようにじっと全てを吟味し口を閉ざしたし、ある者は誰かを騙したし、ある者は誰かに騙された。いずれにせよ無数にある言葉の選択肢の中から拠り所になれる言葉とともに何かを探した。でも意気消沈した世界はまるで空っぽのスーパーマーケットの棚のようになにも埋まらなかった。「自分にはなにか出来るのか?」とする空々しい自問は確実に変わった2011年3月11日14時46分以前の世界と以後の世界の切れ目に宙ぶらりんにされた以前の確固たる価値のようなものを探す空しい確認作業だったのだのかもしれない。なぜなら私たちは既に以後の世界にいたのだから。

 懐かし北三陸の人たち、笑顔を指折り数えるアキの苦悩。これはまさに関東圏にいらっしゃった脚本家の宮藤さんの苦悩や多くの被災地外の人間たちの苦悩を表現しているのかもしれない。やり場の無いまさになにも出来ないという苦悩。埋まらない心。

 さて昨日・今日の「あまちゃん」3.11という表現するにはとっても難しい困難にたった30分で真っ当に向き合いそして寄り添った。適切な表現、ナレーション、台詞、そして笑いを忘れないスタンス、スタッフの方々の素晴らしい作品に心を動かされている。

追伸:大吉が「走るべ」と言ったあたりで灯台の曲がかかり個人的にぐっときた。